本研究は、中世に儀式として制度化された公宴歌会の実態を資料に即して明らかにすることを目的とする。具体的には、公家日記などの記録類を活用して、まず骨格(開催年月日、参加者、歌題等)を明らかにし、次に私家集や懐紙や短冊によって肉付けしていく、という方法をとった。懐紙も短冊も(特に正式な署名を行わない短冊)、年次を明らかにすることが難しく、これまで研究上に活用されなかったきらいがあるが、さまざまな資料を突き合わせたデータベースを作成することで、由来を明らかにすれば、その価値を十分に生かすことが出来るのではないかと考えたからである。 上記のような想定に基づき、最終年度である本年度は、後柏原天皇の時代の歌会データベースを完成させることにした。後柏原天皇に限ったのは、後柏原天皇が自覚的に歌会の制度化に取り組んだ天皇であり、しかもこの形式が明治維新まで基本的に引き継がれることになったからである。 後柏原天皇の践祚の年から約30年にわたって行われた公宴歌会は、御会始、月次御会、七夕御会、重陽御会など平均して年間20回を数えるが、その相当の部分を明らかにし得たと考えている。なお、成果の一部は「後柏原天皇公宴御会年表(二)」(『文学論藻』94号、2020年3月)として発表した。 研究の過程で気づいたこととしては、歌会の制度的特徴の点では、歌会の参加者が「家」単位で見ると常に一定であること等、調査の過程では、懐紙や短冊は全国各地に分散して伝来していること、などがある。今後はさらに調査を進める必要があると感じている。
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