本年度は、予定を変更し、戦前憲法学史研究を進めた。 戦後初期の協同民主主義を対象とする本研究の目的とは矛盾するように思うかもしれない。しかし、矢部貞治が敗戦前後に協同民主主義を生み出した時、国体論を精察し、憲法改正案・象徴天皇論を導出したことを鑑みれば、戦前憲法学において国体・憲法・天皇がどのように語られてきたのかを解明することが、戦後初期の協同民主主義の基礎を解明するうえで不可欠と考え、以下2つの学会発表をおこなった。 (1)「戦前憲法学史再考試論:国体・憲法・天皇の位置関係に着目して」(青森法学会第22回研究大会、2019年11月10日)では、国体・憲法・天皇の位置関係に着目して、戦前憲法学の主要学説(穂積八束、美濃部達吉、国体憲法学派(里見岸雄、山﨑又次郎)、新体制派(黒田覚、大串兎代夫、矢部貞治))を再検討し図式化した。再検討にあたっては、国体は法的概念か歴史的倫理的観念か、憲法は不文憲法か成文憲法典か、天皇は明治天皇か今上天皇か、の区別を意識した。図式化に際しては、縦軸を憲法典と天皇の上下関係、横軸を国体を不文憲法とみるか・憲法典と一体化させるかを指標にして、4象限マトリクスに位置づけ、戦前憲法学史の見取り図を試論として提示した。 (2)「天皇機関説事件後の憲法学:新体制派と反対派を分けたものは何か? 」(弘前大学国史研究会第96回例会、2019年12月15日)では、(1)の続編として、天皇機関説事件後の憲法学に焦点を絞り、新体制派と反対派を分けたものは何かを考察し、憲法制定権力を帝国憲法を欽定した明治天皇とみなすか(新体制反対派)、抽象的な観念上の「万世一系ノ天皇」にみて明治天皇と今上天皇を同等とみなすか(新体制派)の相違であったことを明らかにした。
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