『吾妻鏡』頼朝将軍記の文治4年(1188)~建久6年(1195)と、正治元年(1199)~建仁3年(1203)の頼家将軍記について、吉川本を底本として、諸本で対校し、仮名本である南部本『東鏡』を参考にして字句の補訂を施した校訂本文を作成した。 頼経将軍記の文書利用記事を分析し、『吾妻鏡』が文書を一定のフォーマットに合わせて記事化していることを明らかにした。また、梶原景時追放事件・比企能員滅亡事件の原史料分析を行い、ほとんどの記事に天候や時刻の記載がある前者は、文書を原史料とする記事を含めて史料としての信憑性がある一方、後者は、記事に文飾表現も多く、信憑性に欠けることを明らかにした。
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