電子の電荷とスピンの制御を目指すスピントロニクスにおいて、最重要概念は電子スピンの流れ「スピン流」である。電子スピンが磁性や熱、電磁波といった多くの自由度と結合できるという特長をスピン流でも活かして多彩な相互誘導効果を見出そう―という機運が高まっている。このアプローチにおいてスピン流-電流相互変換は、エレクトロニクスへの架橋の観点から重要である。このような背景を踏まえ、本研究はスピン流の基礎物理において、有機化合物のキラリティによる電気的スピン流生成(正効果)を究明するとともに、その逆効果を検証することを目的とした。 当初の計画では磁性絶縁体の純スピン流(電流を伴わないスピン流)を活用して実験を遂行する予定であったものの、電気伝導性とキラリティの両方を有する有機化合物の探索が初年度に難航した。そこで、磁性金属を用いた典型的な磁気抵抗測定に切り替え、まずは適当な物質を選び抜くことにした。初年度後半から現在まで、キラルなカチオンが電気伝導性を担うラジカル・カチオン塩の作製に取り組み、その薄膜結晶を世界に先駆けて達成した。これを用いた磁気抵抗測定において、巨大な磁気抵抗を観測するとともに、その符号がキラリティの入れ替えで反転する兆候を見出しつつある。この結果はキラリティ誘起スピン流の存在を示すものである。 巨大な磁気抵抗の起源として、本物質の特異な分子配列が考えられる。本物質中ではキラルなカチオンがひとつの結晶軸に沿って多重かつ周期的に配列しており、この方向に電流を流した。先行研究では、数ナノメートルにわたってランダムに分布するキラル分子を用いており、この点で本研究は大きく異なる。まだ磁気抵抗の増大の起源は明らかでないものの、非磁性軽元素で構成した分子性材料を強磁性金属と貴金属に次ぐスピン流生成物質へと昇華する上で、本研究のアプローチは有用な物質設計指針であるように思われる。
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