本研究は、戦前から1960年代に観光地において指定された風致地区がどのように運用され、1960年代までの観光地空間の保全にどのような影響を与えたかを明らかにし、観光地における風致地区指定の史実を評価することを目的とするものである。必ずしも当時の風致地区決定に際する資料が良好な状態で保管されていたわけではなく、当初予定していた全ての地域を対象とした研究が進んだわけではない。例えば、舞阪温泉や湯河原については資料が不足していたほか、風致地区内における開発許可申請に関する書類は入手できなかった。しかし、熱海温泉(熱海市)や玉名温泉(玉名市)、白浜温泉(白浜町)を中心に、風致地区の指定について明らかにすることができた。最終年度の22年度は、玉名温泉において、これまでの調査を補足する資料(航空写真等)の収集及び分析をおこなった。 熱海温泉では、戦前の風致地区指定が観光開発圧力の高まりとともに解除に至る様子が明らかになった。当初の風致地区では、その後観光開発が多数行われた。玉名温泉では戦後に観光客の増加による市街地化が想定され無秩序な発展を防ぐべく風致地区指定されたものの風致を構成する樹林がほとんどないことや地区面積が狭いことを理由に風致地区の廃止が決定された。現在は樹木に覆われている範囲も少なくないが、ホテル等の開発も目立つ。白浜温泉では、都市計画公園と風致地区を重複させて指定してきた。戦後の観光開発によって毀損される風致の保全を目的として広範囲で風致地区指定されてきた。大幅な風致地区解除なく現在に至っており、良好な環境保全に寄与している。
1969年法改正を境に都市計画行政の権限が国から地方自治体へと移管されるなか、そのタイミングが風致地区解除・維持を分ける契機であった。各自治体が観光開発に対して風致地区の重要性を如何に認識したかによって、解除と維持に別れていったことが明らかになった。
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