本研究は江戸時代における絵画制作のあり方を「送別」という観点から読み解くことを目的とする。近世における移動の活発化と人的ネットワークの広がりがどのような絵画様式を要請したかという課題を念頭に、「送別」に関わる近世絵画の傾向を探ってきた。 最終年度は前年度までと同様に、東アジア文化圏における送別画の作例収集を実作品の閲覧および文献調査によって継続した上で、研究期間全体の調査成果を論文にまとめた。特に長崎歴史文化博物館のご協力を得て、同館所蔵の江芸閣ほか35名の手による「菅井梅関送別詩画」(文化~天保年間)および木下逸雲(1800~1866)筆「蛍茶屋送別図巻」(天保2年(1831))を実見し、江戸時代後期における餞贈を目的とする寄合書画幅の流行実態に加え、来舶清人からの同時代的な中国文化摂取との関わりについて考察を深めることができた。また初年度より、谷文晁(1763~1841)が福山藩儒・菅茶山(1748~1827)に贈った「対嶽楼宴集当日真景図」(文化元年(1804)、広島県立歴史博物館蔵)を中心に、宴集を題材とする送別画が成立する過程・背景を検討してきたが、今年度は幕末期の展開を調査し、茶山の弟子にあたる頼山陽(1781~1832)周辺に同趣向の作例を複数確認した。 これまでの調査から得られた成果としては、第一に江戸時代の送別画を概観し、画題の傾向や機能を具体化することができたことが挙げられる。特に18世紀半ばは、現実の人物・出来事に強い関心を示す送別画が現れる一画期であることが確認できた。第二に室町時代の詩画軸からの展開、中国の送別画との影響関係を検討し、中国古典に立脚した「見立て」的な送別画の様相を捉えることができた。調査結果をまとめた論文は既に脱稿しており、査読付学術誌に投稿する予定である。
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