本研究の目的は、プラトンが見据えた自己知の問題を明確にした上で、彼自身の問題への応答を見定めることにあった。2020年度は問題を踏まえた上での、自己知の可能性を示すことに注力した。当初の計画では、プラトンの複数の対話篇を扱う予定であったが、2020年に発生したコロナ禍によって、研究および教育計画の変更を余儀なくされ、また学会発表の計画にも延期や変更が生じた。 このような状況下で、2020年度は、特に『パイドロス』篇に分析を集中させ、自己知の可能性、そして、その方法を探ることを試みた。同作品の研究から、哲学者がエロース(恋)の狂気によって、自己の本性を把握していく過程を明らかにした。また、同作品の後半部の弁論術批判、書かれた書物への批判を分析することで、書物として記録された言葉ではなく、己の中の生きた言葉と自己の記憶を考え抜く重要性を明らかにすることを通じて、自己把握の一つの在り方を示した。以上の内容は、2020年度、上智大学哲学会における「プラトン『パイドロス』における狂気の意義」と題する口頭発表、学術雑誌『アリーナ』(中部大学編、風媒社)第23号での「記憶と記録──プラトン『パイドロス』における書かれた言葉への批判から──」と題する論考によって発表された。 同対話篇は、哲学者の自己把握の方法だけではなく、2019年度に分析した『イオン』においても問題化された、詩人や予言者たちの狂気を通じた働きにも言及している。そこでは、「神的狂気」をもつ詩人たちは肯定的な評価が与えられているようにも見える。しかし、内容を詳細に検討することで、『イオン』におけるものと同様、彼らは理性や主体的な知を欠いた問題のある状態にあることが分かった。この欠点と比較することで、哲学者に可能となる自己把握の特別性が強調され、彼らが有する自己知の特有の有様がより明らかとなった。
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