ヨーゼフ・ゲレス『赤新聞』(1798)において展開されたジャーナリズムの特殊性を明確にするため、「公開性(Publizitaet)」の概念に着目し、それを歴史的文脈に照らして分析した。まずは同時代の言説として、I・カント『永遠平和のために』(1795)およびG・フォルスター『パリ素描』(1793-94)を取り上げ、両者のテキストを比較することで、世論に対する信頼とおそれという、当時の世論イメージの二面性を浮き彫りにした。さらにこの二人のテキストとの対照から、ゲレスが世論を一元的に捉えられないものとみなし、そうした認識からより流動的な公共圏を構想するに至ったことを明らかにした。 その後、18世紀のジャーナリズムにおいて「真実/真理(Wahrheit)」という言葉がどのように用いられたのかを明らかにすべく、ゲレス以前の啓蒙主義を代表するベルリン水曜会における議論を精査した。それにより、当時「民衆(Volk)」を教育する立場にあったベルリン水曜会の会員たちのあいだで、「真実」を「民衆」に伝えるべきか否かという点で意見が分かれていたことを、テキストに即して明らかにした。 研究開始時点で掲げていた、ゲレスの保守思想の歴史的意義を明らかにするという目的は、残念ながら達成されなかった。というのも、ゲレスとフランス革命思想の関係を探るために、革命に関する当時の言説を調査する中で、革命派も反革命派も、自分たちが「真実」を伝えており、反対に敵対者はそれを隠蔽しているという論法を共有していることがわかり、そうした「真実」概念の展開について考察する必要が生じたからである。もっとも、それにより、現代に指摘される「ポスト真実」に通じる状況が18世紀にすでに見られることがわかり、メディアにおける「真実」の問題を歴史的に考察するための重要な視座を得ることができた。
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