『源氏物語』は複合動詞を用い、作中人物の心の機微を細やかに表現している。本研究では、『源氏物語』の長編化の方法を読み解くために複合動詞の役割を考えていった。 2019年度は物語の全体像を把握する重要な問題として捉えられてきた「見る」ことに注目し、『源氏物語』の「見る」がつく複合動詞を整理した。その結果、『源氏物語』の中に特に多い「見はつ」という語が物語の正編に偏在すること、他の平安文学作品と比べても、『源氏物語』にこの語が突出していることを見出した。そこで、『源氏物語』正編の「見はつ」を分析し、この語が第一部の髭黒夫妻の物語と第二部の光源氏・紫の上の物語を連携させていると読み解いた。『源氏物語』正編では、複合動詞「見はつ」を頻出させ、脇筋と本筋の物語を繋げて長い尺度で婚姻関係の持続と終結の問題を丹念に追究しているのである。 2020年度にはまず、前年度の研究を踏まえて『源氏物語』続編の「見はつ」を検討した。正編では他者に向けて使われることが多い「見はつ」は、続編では自己に向けて使われることが多い。正編と続編で複合動詞の用法が異なると考えたので、『源氏物語』続編に偏在する複合動詞を調査した。続編には、物語の最終章(手習・夢浮橋巻)で、最後のヒロイン浮舟が苦悩の末に自身の判断を示そうとする文脈に「~はつ」「~棄つ」「~やむ」などの終結を表す語が集中する。2020年度はこの現象に注目し、手習・夢浮橋巻の「~はつ」「~棄つ」「~やむ」を分析した。その結果、終結を表す語を畳みかける浮舟物語は、あえてそれらの語を用いることで、いかなる結末も結末にならない重い課題を突きつけ、あらゆる葛藤と動揺の末に生き続けようとする浮舟の姿を丹念に描いていると読み解いた。『源氏物語』の最終章では、決着を語ることのない未完の物語のあり方を強く印象づけるために、終結を表す複合動詞を繰り返し用いているのである。
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