2020年度は、「維摩詰所説経講経文(擬)」の写本調査を通して、講経文の写本の利用について、S.4571+S.8167、S.3872、P.2292を通して明らかにした。 S.4571+S.8167は、一部を失った状態であるものの、なお22メートルを超える長巻であり、その重さと書写方法からは、実際の講経の場で使うことは目的とせず、その中の内容を他の写本に抜粋して使用する底本であることを明らかにした。S.3872では、経文とそれを敷衍した散文は同一写本に由来するものの、散文の後に続く韻文は、別の写本から貼り合わされていることを明らかにした。そのために、この講経文の取り扱う経文が、『維摩経』の複数巻に及ぶにも関わらず、そのことが明示されておらず、実際の講経の場で利用するには問題が生じることを明らかにした。P.2292では、その写本の執筆者が各地で仏教の布教に努めた人物であることや、実際の講経の場では、特に写本後半の内容が説かれたと考えられることを指摘した。以上の考察は、説話性に富む『維摩経』の講釈文献が、10世紀敦煌でいかに用いられたのかを明らかにしただけでなく、写本の残存が多くない中国古典文献の利用と伝播の理解に資する成果である。その一方で、前年度の研究において明らかにした『維摩経』と「祇園因由記」との関係が、「維摩詰所説経講経文(擬)」には認められないという問題がある。この背景には、講経文が敦煌以外の地域から将来されたものであることを併せ考える必要があるだろう。しかし、その具体的な解明は、当時の文献の受容に潜む種々の要因をも明らかにせねばならず、今後の研究課題である。 中国の古典文献の多くが版本によって伝承されたために、なお多くの研究余地が残る写本研究の中で、講経における写本の実際の利用や伝播について具体的な資料を通した考察を進め得たことは一つの重要な成果であったと考える。
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