今年度の研究においては、「排他性」についてその反対に置かれる「寛容性」とセットで考えるアプローチをとると同時に、昨年度に続き「過激」と「穏健」を数直線の両端に置く数直線のようなものを想定してムスリムの行動を測ることの問題性を、より理論的に検討することを目的とした。 今年度の調査では別財源によるマレーシア渡航の際に本課題と合わせてマレーシアにおける州議会選挙の参与観察を行い、若年層の厚い支持により「保守的」と表現されるイスラーム政党が圧勝するのを目の当たりにした。インタビューでは少なくとも表面上、他地域でも「右傾化」とされる傾向に似た排他主義的な発言が聞かれた。しかしながらこの現象を単純に寛容性に反する、排他的なイスラーム主義の盛り上がりと判断するのはあまりに早急である。そもそも寛容、排他という見方に問題がある可能性を考える必要があるのではないか。 このような問題意識から、本研究課題としてはより理論的な考察を深めることとした。 その結果、「寛容」である、そうでなければならない、という発想もまた一定の歴史的流れの中で形成されてきたものであり(eg. ブラウン2010)、何をもって寛容とするのかなどの議論を経ずに「寛容」を想定したり、それに近いものを「穏健」としてより望ましいものとする分析を避ける必要があることが明らかになった。ムスリム社会の文化人類学的研究としては、「寛容」や「穏健」の言説がメディア、ソーシャルメディア等でいかに形成されるのかを明らかにする必要があり、本課題の主題である「排他性」の言説はそれだけで見るのではなく、「寛容」「穏健」の言説の形成と裏表の関係で形成されてきたものと考えるべきだという結論に至った。
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