本研究では、米国州裁判所における取り扱い案件数の急増が医療訴訟における和解のタイミングにどう影響するか検証した。結果として、賠償金が支払われた案件では和解のタイミングが早まり、一方で不起訴・棄却された案件では和解のタイミングが遅れることがわかった。この実証結果は、一見すると原告側の交渉力が強まっているように見え、非直感的である。なぜなら、裁判の遅延により交渉上有利になるのは被告側であり、原告側が有利になるとは考えにくいからである。 続いて訴訟の動学的交渉モデルを構築、定式化することで、上記実証結果を経済モデルを用いて説明した。このモデルでは、原告は係争中に「諦める」ことが可能であり、被告は「放棄する」ことが可能である。これら選択を可能にすることにより、訴訟の棄却が一意に決定する混合戦略均衡が生じ、上記実証結果を説明可能とした。この理論的結果の直感的説明は以下となる。裁判の遅延は原告を頑固にし、諦めにくくなる。有責である被告は原告が諦めない事を悟り早期に支払い請求に応じて和解する。責を負わない被告は放棄することはないため、原告が諦めにくくなる事により支払いが発生しない案件では和解のタイミングが遅れる。原告が諦めにくくなるのは被告が有責であるというビリーフが強くなるから(ある係争中の一時点に達している事自体が被告に責があるという信念を形成するから)である。裁判の遅延は原告を頑固にし、粘り強くすることから責を負わない被告に不利益を与え、原告自身も不利益を被る。一方、責を負う被告に関しては早期に放棄することから同等の被害は被らない。本研究では、裁判の遅延は責を負う被告を除くすべての訴訟当事者に損害を与え、「裁判の遅延は正義の否定に等しい(Justice Delayed is Justice Denied)」という法の格言と一致する事を示した。
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