最終年度は青森市の調査に従事した。1959年に県内で初めてテレビ局が開局した地は青森市である。青森市では、吉見俊哉の議論に代表されるようなナショナル・ヒストリーの範疇においてテレビが受容されていった。テレビ・フィーバーの起爆剤となったものは、大都市と同様、街頭テレビや皇太子御成婚パレード中継である。青森市では電器店の店頭に設置されたテレビが街頭テレビの役割を果たしていた。人々は電器店の店頭にて集団でテレビを視聴することによって、「テレビを視聴する」ふるまいと出会い、テレビの面白がり方を覚えていった。 NHK青森テレビ局開局後、1ヶ月も経たないうちに迎えた皇太子御成婚パレードは、テレビの購入を大きく促した。パレードの前後でテレビは飛ぶように売れ、テレビの在庫が不足する事態が生じていた。このように、青森市の調査は先行研究で語られてきた日本テレビ史の通説を地方から裏付ける結果となった。 2019年の調査では、青森県にテレビ電波環境が整備される前のテレビ受容に焦点を当てた。2020年の調査では、県内のテレビ電波環境が整備されていくなかで取りこぼされた地域に着目した。つまり、県外からはみ出す電波、県内を満たせない電波をめぐるテレビ受容の研究である。本年度の、県内中心部を満たす電波の調査は、先行研究をなぞる結果となったが、はみ出す電波・満たせない電波の事例の意義を明確にするために必要なものであった。 本年度は研究成果の海外発信にも取り組んだ。発表を実施した国際学会はEAJSとIAMCRである。応募時の審査において、テレビの「海賊」視聴者は1950-60年代に世界的に重要な現象であったが、これまであまり着目されてこなかったと、査読者からコメントをいただいた。本年度の青森市の調査によって「海賊」視聴者の研究の重要性が浮かび上がったため、青森県のテレビ受容の研究は一通り完了したように思う。
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