Fynチロシンキナーゼは大脳辺縁系に強く発現し、その遺伝子欠損マウスは情動行動異常を示す。本研究ではFyn欠損マウスを情動記憶障害モデルとして、本分子の欠損によって引き起こされる細胞内情報伝達過程の異常と恐怖情動記憶の形成・消去の障害との関連性を解析する。このために、まずFynが情動記憶の形成と消去に関連してどのように変動し、Fyn依存性の蛋白質チロシンリン酸化シグナル伝達系の変動とどのように相関するかを解析し、これらのシステムが恐怖記憶に関連する神経回路を制御する分子神経機構について検討する。これらの知見をもとに、強迫神経症やPTSDと関連がある恐怖記憶消去のメカニズムにおけるFynシグナル伝達系の意義を解明する。 結果と考察 1. 野生型マウスでは文脈的恐怖条件付けにおける記憶獲得過程において、背側海馬でFynの一過性の活性化がおこることを明らかにした。この活性化は条件刺激と無条件刺激の連合に依存していた。また、Fyn欠損マウスでは文脈的恐怖条件付けが障害されていることが明らかになった。 2. 海馬において恐怖条件付けによるFynの活性化に続いて、NMDA受容体NR2Bサブユニットならびに他のFyn下流蛋白のチロシンリン酸化の亢進が認められた。 3. 恐怖記憶消去過程では背側海馬の活性化型FynとFyn下流蛋白のチロシンリン酸化が共に低下した。 4. 恐怖記憶消去においてFyn活性の低下が関与することを確証するために、背側海馬にFynを含むSrcファミリーチロシンキナーゼの阻害剤PP2を定位的に注入した。その結果、PP2は消去過程を促進することが明らかになった。 以上の結果から、Fynの活性化は恐怖記憶の獲得時に亢進、消去過程では低下すること、Fyn下流の蛋白質チロシンリン酸化も恐怖記憶獲得時には亢進し、消去過程では低下することが明らかになった。Fynは下流蛋白質のチロシンリン酸化を介して記憶形成の初期過程に関与すると推測される。一方、恐怖記憶消去過程ではタンパク質リン酸化チロシンの脱リン酸化が促進されると考えられ、記憶形成過程とは異なったシグナル伝達経路が関与する可能性がある。
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