本年度は、前年度に得られた結果を踏まえ、シナプス前制御に関連するより詳細・広範な生理学・解剖学的知見を考慮した数理モデルの構築・シミュレーションを行い、シナプス前制御の神経回路の動特性・情報処理特性への影響を検討した。具体的には、最近、多くの実験研究の知見が集積しつつあるシナプス前ニューロンの連続発火に伴うシナプス結合強度の短期的可塑性、すなわち感覚野など大脳皮質の多くの領野で広く見られる錐体細胞間結合の短期的減弱、および前頭野の一部の領野で起こることが示唆されている短期的増強などを取り入れたモデルを考え、シミュレーションを行った。その結果、まず、短期的増強を考慮したモデルは、既に報告されているように外部入力消失後も活動を安定に持続する短期記憶(ワーキングメモリー)様の特性を示すことが確認されたが、さらに今回、そのような持続的活動が出現するかどうかは、外部入力の与えられる時間に大きく依存することが明らかとなった。こうした動的特性が、認知プロセスの時間的制御に大きく関わっている可能性が示唆される。一方、短期的減弱については、前年度に研究したDale則を破るシナプス前シナプスを含むモデル(感覚野を想定したモデル)に取り入れ、シミュレーションを行った。その結果、短期的減弱のパラメーターを調節することでニューロン集団の発火パターンが大きく変化しうること、さらに外部入力の時間変動に対して非常に鋭敏に反応して発火パターンを変えうることなどが明らかになった。これらの現象の中には、シナプス前シナプスによるDale則の破れを仮定しなければ起こらないものもあり、シナプス前制御をうまく使うことで一つのニューロン集団が状況に応じて全く異なる性質を持つ回路となりうることが示唆される。これは限られたリソースで非常に広範な情報を処理できる脳の仕組みを解明する上で重要な知見であると考えられる。
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