本研究の目的は、古代パルミラ墓の現地での調査・研究を通して古代パルミラ人の葬送儀礼や死生観を社会背景とともに理解することである。調査を実施している家屋墓はパルミラ博物館の西約100m、パルミラ都市遺跡の北側に接するように営まれ、No.129-bと呼ばれる有力氏族の墓である。 今年度は、崩れ落ちた石材の状況を3次元レーザー計測し、倒れこんだ家屋墓石材の隙間や周辺に堆積した土砂の除去、精査をおこない埋葬施設の検出に務めた。その結果、石棺以外の主要な埋葬施設は床下に存在することが明らかになった。現在理解されている家屋墓の埋葬施設の配置形態とは異なっていた。家屋墓の内部構造や外部構造、埋葬方法を理解するために他の家屋墓の比較調査が必要になり、150号墓と葬祭殿の2基の家屋墓の3次元計測をおこなった。また、家屋墓全面に設けられた城壁築造作業面に設けられた乳児墓の調査とその墓から出土した骨の調査、さらに家屋墓が城壁に取り込まれるに際して墓から捨てられた人骨の調査をおこなった。そしてそれらの人骨からDNA調査用試料のサンプリングを実施した。また、典型的な建築装飾部材の実測をおこない建築意匠の比較研究のデータを収集した。 特に乳児墓は、城壁に近接して17基あまりが25m^2あまりの狭い範囲に密度も高く設けられていたことは、何か特別な意味で乳児が葬られた結果であるように思われる。その意味とは現段階では城壁の建造にたいする安全祈願としての埋葬か城壁が建造された目的であるササン朝ペルシャに対する勝利祈願としての埋葬のような故意による埋葬行為の可能性が考えられる。
|