研究分担者 |
檀上 寛 京都女子大学, 文学部, 教授 (60163721)
岸本 美緒 お茶の水女子大学, 人間文化創成科学研究科, 教授 (80126135)
松井 洋子 東京大学, 史料編さん所, 教授 (00181686)
黒田 景子 鹿児島大学, 法学部, 教授 (20253916)
柳沢 明 早稲田大学, 文学学術院, 教授 (50220182)
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研究概要 |
最終年度にあたり,理解の枠組みを呈示して研究分担者による検討をおこなった。 a.朝貢システム論は,中国中心の世界像と貿易とを結びつける静的な論理である。明代(1368~1644年)における朝貢と貿易との一元化を理解するうえで有効だが,明を除き歴代王朝は一元化を志向せず,この論理を一般化することはできない。 b.「中華思想」「華夷秩序」の理念は通時的であった。ただし,この理念はすべての貿易を朝貢と不可分とするものではない。非朝貢径路の貿易が朝貢貿易と併存することを否定する論理はそこにない。 c.清(1636~1911年)は,海禁政策の時期に朝貢と貿易の一元化政策に回帰したが,1684年以降この政策を放棄した。 d.朝貢貿易は政治的協約にもとづく貿易独占のとしての性格をもった。 e.「互市」は,民間の商業行為としての貿易を外交から切り離す性向をもった。貿易権などをめぐる外交交渉を忌避し,皇帝と諸国の王権との接点をなくせば,朝貢の論理を発動せずにすむ。朝貢の儀礼や天朝の理念は紛糾を招く危険性があったが,「互市」はその非政治性のゆえにこれを回避できた。 f.「互市」は統制と隔離とを伴ったが,参入の自由および市場における競争と価格形成を保障するとともに,適切な管理によって交易の安全を実現した。 g.「互市」における参入の自由は,諸国の東インド会社の貿易独占の企図を不可能とするとともに,私貿易商人(地方貿易商人)の成長を促した。私貿易商人はやがてインド産アヘンの密輸を通じて,さらに自由な貿易径路を開拓することになる。 h.1842年以降の条約体制は,密輸によって空洞化が進んだ「互市」を再編成するものであった。「天朝」を国際社会の一員に引きずり下ろしたことを重視すのであれば,天朝の論理から条約体制への移行として理解できる。
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