本研究の目的は、日本中世における高等教育機関としての大寺院が都市・社会とどのように連携し、どのような教育普及活動を展開したのか?という問題を、一次史料の調査収集のうえに追究し、中世ヨーロッパとの比較の視点を加えつつ考察することで、日本の大学史における暗黒時代ともいうべき中世について、その「大学」像を確立することにある。同時に、今日ますます模索されているところの大学と都市・社会との連携のあり方について、参照すべきひとつのモデルを提示することをも期している。 具体的には、戦国時代に来日したF.ザビエルが大学と呼んだ6箇所から京都五山・比叡山・高野山そして足利学校の4箇所を主たる考察対象に措定し、都市・社会との関係に注目しつつ、高等教育機関としての特性を明らかにする。そのうえで、比較の視点を重要し、諸機関(寺院)相互、あるいは西欧中世の大学との相違・共通点に注目しながら、日本中世の「大学」像を明確にしていく。
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