研究課題/領域番号 |
20401035
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研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
長谷川 奏 早稲田大学, 総合研究機構, 准教授 (80318831)
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研究分担者 |
吉村 作治 早稲田大学, 理工学術院, 客員教授(非常勤扱い) (80201052)
近藤 二郎 早稲田大学, 文学学術院, 教授 (70186849)
下田 陽久 東海大学, 工学部, 教授 (20056245)
惠多谷 稚弘 東海大学, 情報技術センター, 事務長 (60398758)
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キーワード | エジプト / 西方デルタ / 衛星画像 / 遺跡立地条件 / 都市 |
研究概要 |
西方デルタはヘレニズム時代への移行期において、地域間ネットワーク掌握の構図が歴史・考古の両資料から窺える稀有な場となっている。当該地域の遺跡分布の特徴的な性格としては、1)地中海沿岸のメガシティとナイルのほとりのメガシティ相互を繋ぐ流通、2)国土としての緑地帯を夷敵から防衛するライン、3)広域国家の砂漠内の軍事・経済情が行きかったネットワーク、の3つに大別して捉えることができよう。しかし、これらはいずれも〈線的〉な移動に伴う理解であることは否めない。そこで、現地調査の観察結果が注目された。デリンガート市の事例では、半径7~8kmほどの地域に遺跡の殆どが集中しているが、近代の史料『エジプト誌』では遺跡の集中分布地域は、耕地としても利用されていない低湿地となっている。マハムディーヤ市にも多くのヘレニズム時代の遺跡の分布がみられるが、やはり『エジプト誌』では集落がみられず、19世紀半ばのM.Falaki作成地図では、ここはlduku湖の湖面範囲が最大になった際の屹水線にあったと想定された。遺跡分布は、西側、東側ともに、さらにBrurus湖、Mariyut湖にわたっていく。従って、本研究には、これらの潟湖環境がクローズアップされることとなった。興味深いことに、上記の遺跡集中区は、強力な排水が必要なため、1950年代でもまだ通年灌漑が及んでおらず、やっと1970年に至って開墾地になっている。私たちはこの地域で大規模な灌漑が行われていた可能性を否定するものではないが、もう一つの視点として、ヘレニズム時代には、潟湖(lagoon)の縁辺という非常に生活が困難な場でも、さまざまな生業(たとえば脆弱な漁業、手工業、農業の連結)といった経済ネットワークを作り出し、それらを取り結んで、潟湖の〈面的〉な繋がりを維持していた「力」あるいは「知」に着目していく成果を得た。
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