「研究の目的」のうち、今年度は(8)帰農した中世武士によって、江戸時代の農村に武芸が伝承されたという仮説を明らかにするため中世武芸流派の一つ新当流の分布、上野国の神道一心流の調査を行った。 1.新当流の普及と鹿島信仰について 近世初頭の剣術流派について、友松偽庵から1591年に念流を伝授されるまで、樋言家は馬庭村で新当流(松本備前守-柏原肥前守系)を指導していた。関東に興った新当流が中世においてどの地域へ普及したかを、千葉県香取郡の飯篠快定家、茨城県真壁家臣の桜井家文書(岐阜県大垣市・飯篠-松本備前守系新当流)、長州藩毛利家(山口県防府市・塚原ト傳系)、米沢藩坂家文書(塚原ト傳系)の文書から調査した。真壁氏幹(道無)は鹿島神宮の「鹿島大使」役を務めたことから鹿島信仰を弘めることとの関連性も今後の研究課題に考えられる。門弟桜井大炊助(吉勝)が西へいった理由に鹿島信仰布教があったかもしれない。成果を平成21年8月日本武道学会第42回大会(於:大阪大学)で発表した。 2.中世における剣術流派の習具について 16世紀における新当流文書(『新当流潅頂兵法巻』1568年)に、太刀のほか、鑓、鎌鑓、突棒、乳切木、長刀などが記されている。他文書のトンボ絵にもあるように多くの武具が稽古された。 3.上野国の農村武芸について 近世の上野国では神道一心流(流祖 櫛淵宜根)の文書が群馬県立文書館にあり、沼田付近で行われていたことを示す門人帳を確認できた。詳細は今後の研究課題とする。 4.ブラジル移民の剣術流派 1908年、神戸から出航した笠戸丸の甲板上で剣道大会が開かれた記録がある。ここには愛媛県警察師範も乗船し、剣道具とともにブラジルへ渡った(現存)。ほか神陰流文書(古本静文書)が存在した。
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