研究概要 |
本研究の成果は以下のようにまとめられる:(1)石見銀山では1526年の銀山発見に続いて1532年に鉛を用いた灰吹き法が導入されて銀が製造された。まず、17世紀までは福石鉱床という銀が高品位で随伴問題元素が少ない優秀な鉱石に恵まれていたこと、さらに鉛については、ダストやスラグの循環使用、最終の廃棄スラグ中の鉛が溶出しにくい形になっていたことなどにより、環境への悪影響は顕在化しなかった。18世紀以降、鉱石が銅、硫黄を含む永久鉱床に移ったが、結果的は技術的対応が進み、同じく環境への悪影響は抑えられた。そこには、全国の鉱山間の技術情報のやりとりが関係しているのではないかと思われる。(2)金、銀の製造技術は共通的な部分が多いが、含有量が1桁以上少ない金を効率的に回収するためには、佐渡金銀鉱山では、より手の込んだ複雑な選鉱、製錬、精錬の技術が必要であり、金、銀の歩留まり向上を主目的とする循環使用を組み込んだ製造システムが確立されて行った。その技術が、時代とともに品位は低い方向に推移し、かつ随伴元素のために製錬は難しい側に推移してゆく各地も銀山の製造技術にも影響を及ぼしたと考えられる。(3)銀生産量確保を目的とする幕府直轄による管理および鉱山間の情報交換と、作業現場での手間を惜しまない各作業者の正確な作業の組み合わせが、「日本らしさ」として誇れる技術となり、結果的にそれが「環境配慮」につながったと思われる。(4)これらの歴史に学ぶこれからの時代の環境配慮のあり方に対するヒントとして、限りある物質を大事にするという視点からの中長期的視点からの枯渇対応,リサイクルが経済性を持つための経済システム作り,場合によっては備蓄政策が挙げられる。
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