研究概要 |
石見銀山遺産が世界遺産に登録された時、その採択の理由の1つとして、「環境への配慮を16世紀から実施していたのは素晴らしい」などが挙げられていた。しかし、その「環境配慮」の具体的な内容はほとんど解明されていない状況にあった。そこで、本研究では鉱石に関する地学的なデータと、古文書等に記載された当時の選鉱や製錬の技術、経済性、社会的な背景などを総合的に検討して、17~19世紀を対象に、石見銀山での銀生産が環境に及ぼした悪影響が小さかった原因の解明を行った。本年度は、研究の詰めと研究結果のとりまとめを行い1つの研究論文と,本研究に関連した論文をを仕上げた。 (1)17世紀はじめまでは石見銀山では銀品位が高く随伴する問題元素が少ない福石鉱石が用いられた。灰吹き法による銀の製錬技術は、16世紀後半に石見銀山から各地の鉱山に伝えられたが、17世紀初め、佐渡金銀鉱山の、より手の込んだ選鉱、製錬の技術が石見銀山にフィードバックされて、結果的に石見銀山でも灰吹きに用いた鉛の回収など技術が改善され、鉛に起因する環境汚染が抑制された。 (2)18世紀中期以降、永久鉱床の鉱石が製錬の対象になり、銅と灰吹銀の両方を製造するようになった。銀のほかに銅も回収する製錬法は技術的にはすでに多田や生野のような銀銅山で確立されていたものが用いられたが、石見銀山での実際の銅の生産量の推移は、一見不規則で、これまでその理由が十分に説明されていなかった。本報告では、銀、銅生産量に関する記録と歴史的背景に基づいて、銅生産量がそのような推移を辿った理由を検討し、江戸幕府による銅の生産への要求の強さの推移に応じて、銅の回収が行われなかったり、行われたりしたことを明らかにした。
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