平成20年度はまず、「ハイチ人ディアスポラ」および「アフリカン・ディアスポラ」としてのハイチ人に関する文献の読解を通して、先行研究の理論的枠組みの把握と自身が行うべき実証研究の方向性の検討に重点を置いた。それを踏まえ、フィールドであるニューヨークで予備的な史料調査を行った。本研究で特に注目したい1990年代初頭は、ニューヨーク市史上初の黒人市長であるデイヴィッド・ディンキンズが市長の地位にあり、彼の政策が同地のハイチ系住民の日常生活にも影響を及ぼしていた。この点に注目し、当該年度では特に、ディンキンズ市政と、彼が市長の地位にあった一期四年間を「人種・エスニック関係」の面で強く特徴付けたと言われる事例を分析対象とした。デイヴィッド・ディンキンズの個人文書が保管されているニューヨーク市公文書館(Municipal Archives of New York City)での史料調査を通じ、ニューヨークのハイチ系住民が置かれていた政治的な環境、さらにはかれらの生活を直接間接に規定していた人種・エスニックな面での文化状況が俯瞰的に明らかになったと言えるだろう。また、それを補足する形で行われた別のアメリカ出張では、史料調査の他に・アメリカの第一線の研究者(南カリフォルニア大学のロビン・D・G・ケリー教授)と研究討議を行い、研究の枠組みや今後の方向性に関して重要な示唆を得た。以上の研究活動の成果は、2009年7月31日に刊行予定の日本アメリカ史学会の査読付学会誌、『アメリカ史研究』第32号に「〈人種の調停者〉の憂欝-デイヴィッド・ディンキンズとクラウン・ハイツ暴動」という論文で部分的に発表される予定である
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