平成21年度はまず、「ハイチ人ディアスポラ」および「アフリカン・ディアスポラ」という観点に関して前年度に行った現地資料調査の活字化を行った。具体的には、1990年代初頭のニューヨーク市で市長の地位にあり、ハイチ系住民の日常生活にも影響を及ぼしそいたデイヴィッド・ディンキンズに注目し、彼の任期であった四年間を「人種・エスニック関係」の面で強く特徴付けたといわれるクラウン・ハイチ暴動を、ニューヨーク市公文書館所蔵の一次資料を基に分析した。その成果は、日本アメリカ史学会の査読付学会誌『アメリカ史研究』第32号に「<人種の調停者>の憂鬱-デイヴィッド・ディンキンズとクラウン・ハイツ暴動」という論文で公刊されている。また、同資料調査の際に集めた一次資料も参照して、2009年10月には『ハワード・ビーチよ、聞いてるか?ここはヨハネスブルグじゃないんだ!』-暴力、人種主義、多様な『われわれ』」という論考を発表した(金井光太朗編『アメリカの愛国心とアイデンティティ』所収)。これは1980年代末にニューヨーク市で起こった黒人移民に対する憎悪犯罪を扱った論文であり。そして年度末の2010年3月には再びニューヨーク市公文書館を訪れ、約一週間、集中的に資料調査を行った。その際に注目したのは、ニューヨーク市で1980年代に見られた、特にハイチ系を標的とした「エイズ・パニック」に関わる差別(およびそれに対するハイチ系らの抗議行動)や、1990年のハイチ系住民による韓国系商店のボイコットといった具体的な事例である。そうした調査を踏まえた分析は活字論文の形で発表する予定である。
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