2010年8月と2011年3月に行った2回の現地調査では、1990年代から2000年にかけて「ニューヨークのハイチ系住民」を標的として起こった、警察の残虐行為に関わる2つの事件、アブナー・ルーイマ事件(1997年)およびパトリック・ドリスモンド事件(2000年)について一資料の収集をニューヨーク研究図書館ショーンバーグ分館で行い、あわせて事件現場の視察を行った。ニューヨークのハイチ系住民にとり、この二つの事件は同地において「ヘイシャン・ディアスポラ」であるのみならず、「アフリカン・ディアスポラ」でもあることを痛感させる出来事であった。この点は、現地調査で収集した一次資料、とりわけハイチ系住民がニューヨークで発行している「エスニック・ペーパー」である『ヘイシャン・タイムズ』紙や『ヘイティ・オブザヴェーター』紙などの記事からも確認できることであり、2010年9月20日に行われたアフリカ系アメリカ人コミュニティ形成史研究会において、「〈ヘイシャン・ディアスポラ〉から〈アフリカン・ディアスポラ〉へ-21世紀転換期ニューヨークにおける警察暴力が構築する人種連帯」というタイトルでその点を軸に口頭報告を行った。その際、特に以下のような問いが具体的な論点であった。ハイチ系住民がニューヨークでその人種性ゆえニューヨーク市警(NYPD)の標的とされるなかで、自らのエスニック・アイデンティティをどのように変化させていったのか。アフリカ系アメリカ人や(他の)西インド諸島系住民と〈黒人〉としての意識をどのように共有したのか。ハイチ系を標的とした警察の残虐行為の記憶は、ニューヨークにおいてどのように〈黒人〉全体の間で「われわれの歴史や経験」として集合的に記憶されていったのか。ハイチ系住民の「ディアスポラ」としての意識はどのような質的変化を遂げたのか。現在、以上のような分析を編著所収論文として活字化している最中である。
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