本研究プロジェクトの締め括りとして、最終年度の2011年度は、前年度に行った二回の現地調査で収集した一次資料に基づく実証的な論文を執筆した。中心的な分析対象は、ハイチ系住民を被害者とした、警察の残虐行為に関わる二つの出来事、アブナー・ルーイマ事件(1997年)とパトリック・ドリスモンド事件(2000年)である。この二つの事件は、ニューヨークのハイチ系住民にとり「アメリカに住むハイチ人」から「ハイチに出自をもつアフリカン・ディアスポラ」へと自己認識の軸を移行させる契機となった。ニューヨークのハイチ系住民が「黒人」としての人種性を理由にニューヨーク市警による残虐行為の標的となるなかで、どのようにエスニック・アイデンティティを再構築していったのか、という問いに答えるべく書かれたのが、樋口映美編『流動する<黒人>コミュニティ』所収の論文、「ヘイシャン・ディアスポラからアフリカン・ディアスポラへ」である。この論点をさらに掘り下げる目的で、ニューヨーク市警によるギニア人移民射殺事件であるアマドゥ・ディアロ事件(1999年)への分析まで踏み込んだのが、単著『アフリカン・ディアスポラのニューヨーク』(特に第五章)である。そこではニューヨークの「黒人」住民全体の間で警察の残虐行為が「わたしたちの歴史や経験」として集合的に記憶されるとともに、ルーイマ事件、ディアロ事件、ドリスモンド事件という一連の事件に対して主体的に抗議の声をあげることを通して、ハイチ系住民がアフリカ系アメリカ人やハイチ系以外の西インド諸島系住民と「黒人」としての意識を共有していくプロセスに注目した。また、定住化傾向を強めるなかで、ハイチ系住民の「ディアスポラ」としての自己意識が質的に変化を遂げた点にも注目している。
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