平成20年度は、研究環境の整備、研究課題に関する基礎文献収集とレビュー、8月のイギリスへの資料収集およびその整理を行った。イギリスにおける人種関係法の成立が移民法による「肌の色の異なる」移民の流入制限とほぼ対の関係にあり、世論の圧力により移民制限をやむなしと認めるに至った労働党によって推進され、保守党との超党派的コンセンサスによって成立が可能となったことは従来言われていたことであるが、それ以外の要因(アメリカの公民権運動の影響、国際的な人種差別反対運動の圧力、イギリス社会における「人種関係」に対する懸念のあり方など)についてもどのまうな形で人種差別を禁止する人種関係法の成立過程およびその内容に影響を与えたかについて、一次史料をもとに検証に取りかかることができた。まだ内務省史料および当時の政策立案に関わった人々の回想記録などを見ている段階で、次年度以降労働党内の議論などを検証することでよりより議論を深めて行く必要があるものの、その成立に至るまでの議論の変遷を細かに検証することで、なぜ1965年/68年/76年と人種関係法が改正を重ねられることになったのか、またその運用において当初意図しない限界および問題点がどのように生じたのかといった問題について、従来の枠組み(中央政府の消極的関与姿勢、執行組織の脆弱さ、「人種関係」という枠組みそのものの限界)をまず検証するという作業を今年度を通じて行うことができた。
|