本課題は、20世紀に水田面積が10倍に増加するという急激かつ過剰な水田拡大(地域総面積の4割を水田が占める)を経験した東北タイにおいて、稲の栽培形態(灌漑・天水・技術導入)がどのように変化したか、そして稲作を主要な生業とし、コメを主食とする地域の人々の生活がどのように変容してきたかを、現地調査、地理情報分析、文献調査によって明らかにしようというものである。2年度目である2009年度には4地域で聞き取り調査を行い、前年度の4地域とあわせ、8つ設定した現地調査対象地域(流域)をすべての調査を完了した。 調査の結果、東北タイの中でも、年間降水量が1500mmを越える地域(概ね地域の北東半分)では、水田拡大の進展にもかかわらず、現在に至るまで一貫してきわめて安定した余剰を伴うコメ生産が行われており、不作に備えた米の越年備蓄を行うことさえ稀であったことが明らかになった。これは、常に不作に備えて備蓄を行い、それでも食糧不足が頻発するという南部地域(特に南西部。昨年度調査)の状況と大きく異なる。これまで東北タイの稲作は不安定性を前提として語られがちであったが、現実は東北タイにはきわめて安定的な稲作を行う地域と不安定な稲作を行う地域が存在し、それぞれの稲作は異なる変容の経路を経て現在に至っていることが示された。これは、東北タイという地域を捉えなおす上で非常に重要な意義を持つ。 また、東北タイ北部の特に山にに近い地域には農民自身が建設した伝統的な灌漑土堰堤「ファイ」が広く分布していることが明らかになった。これら土堰堤による灌漑水田は、同地城の天水田と同じくらいかやや新しい年代に開かれていることから、比較的降水量の多い東北タイ北部においては、灌漑は常にして相対的な存在であった可能性が示唆された。
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