研究概要 |
(1)主に大正期を中心に展開された産児調節運動にかかわったオピニオン・リーダーらの避妊の可否論に着目して、「避妊=可」言説のロジックを抽出しとその内容と構成の分析を行った結果以、以下のことが明らかになった。 男性論者による「避妊=可」言説は、(1)優生学による人種改良・社会改良、(2)堕胎・嬰児殺しの廃絶、(3)晩婚化・廃娼対策、(4)夫婦の性愛化に関する言説により構成されていたこと、避妊受容の論拠が国家・社会を主眼にした公共圏の論理からセクシュアリティに関する親密圏の論理へと変化していたことがわかった。また、男性論者と女性論者の「避妊=可」言説には違いがあることも明らかになった。女性論者は、避妊を正当化する根拠として「生殖の自己決定権」を主張したが、他方で,夫婦の性愛化には拒否的であった。近代家族成立の指標である「結婚-性-愛」三位一体観の形成プロセスにはジェンダーによる差異があったことが明らかになった。 (2)また、同様に大正期に発行された女性雑誌(主に『主婦之友』と『婦人公論』)を資料として分析した結果、以下のことが明らかになった。得られた知見の第一は、1920年代は、男性の性欲コントロールと子ども数のコントロールの手段である「避妊」が同時に社会問題化していたことである。従来、避妊の受容は女性側の心理的・身体的要因や子どもの教育、家庭経済(生活水準)などの観点から解釈されてきたが、「夫婦関係の性愛化」という概念の成立が、男性の避妊への関与を積極化させていた。また、第二に、新中間層の人々は、女性雑誌を一つの回路として、「幸福な夫婦・家族」のイメージを形成する情報を入手していたが、同時に、避妊に関する情報やその具体的方法の入手と実行というプロセスを通して、夫婦関係の親密化を経験していた。 つまり、近代日本において避妊の導入は「家族の情緒化」の促進に対して一定の貢献を果たしたと言えよう。
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