本研究はフランクフルト学派、そのうちでもとくにマルクーゼが、十九〜二十世紀初頭のモダン思想(現象学を含む)を二十世紀後半のポスト・モダン思想へと媒介したのではないか、そのさい媒介の主要契機は価値ないし歴史ニヒリズムにあるのではないが、という仮説の検証を目的とする。 初年度の平成20年度には、予定を若干変えてまず、或る程度の期待をもってメルロ・ポンティの『見えるものと見えないもの』を読み通した。だが彼め晩期の思想からは(固有に興味深い思想的展開が認められた点はあるにしても)、上記の仮説に資するところはほとんどなかった。たしかにメルロ・ポンティは必ずしもポスト・モダン思想とは親密でなかったから、この結果はやむを得ないとしなければならない。 次に、マルクーゼ『理性と革命』を再読した。上記の仮説を彼のこの主著からのみ検証することはもともと期待していなかったが、これ以降の彼の資本主義的イデオロギー状況に対する諸批判書を再読していく前提として、十分意味のある作業であった。 予定にない収穫が一件あった。それは、学部の演習で見田宗介『時間の比較社会学』を取り上げたが、四回目の通読によって、彼が現代西洋思想に至るまでのく時間への疎外〉とそのく時間からの疎外〉という二重の疎外論を展開していることの意義深さを改めて認識したことである。これと上記の近代西洋価値ニヒリズムとの関連を探ることも、今後の研究基軸としたい。
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