20年度のアリストテレス倫理学の研究「習熟による欲望の変貌-ヘクシスとフロネーシス」(千葉大学教育学部研究紀要第57巻、261-274頁、2009)」と21年度の「プレオネクシアとメテクシス-自然の正義とゼウスの正義」(同紀要、第58巻、287-304頁、2010)が今年度の研究の前提となっている。最終年度の成果としては『欲望論』を上梓した。 アリストテレスとプラトンの「悲劇」の取り扱いの違いをまずは明らかにし、次いでアリストテレス『政治学』第一巻の<家政術(オイコノミケー)>とそれを司る<家政の長>が陥る貨幣蓄蔵欲望(プレオネクシア)>の関係を徹底追及した。 まず「悲劇」あるいは「ミメーシス」に対する両者の対応の仕方が、一方プラトンでは徹底的な民主政批判に結び付けて否定的に評価されて、他方アリストテレスでは他者への「同感」という倫理的な徳性に結び付けられて肯定される点を分析し明確にした。 アリストテレスの『政治学』第一巻については、<家政の長>が司るべき<賢慮(フロネーシス)>対して、<家政の長>が陥る<家政術(オイコノミケー)>に関する<無知(agnoia)>というものを明らかにした。この無知こそが<家政の長>が陥る<貨幣蓄蔵癖=プレオネクシア>である。家政の長が<賢慮(フロネーシス)>を掴みそこねて、<よき生の構想>から<ただ生きる>という<無知な構想>に転落するというのである。 さらにアリストテレスが『政治学』第一巻で展開する<家政の長>の陥る<貨幣蓄蔵欲望(プレオネクシア)>の動態分析を、マルクスがそのままに『資本論』の商品の流通分析にいかに取り入れて議論しているかを取りだして明らかにすることができた。
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