前年度の研究において、自然の資本化という事態を、労働価値説や限界効用説といった、経済学における価値の理論のうちに見いだしたが、今年度は、現代の環境保護運動の中心的な理念ともなっている持続可能な開発にかんする考察を行った。この理念は、現在かなり広範に浸透しているが、しかしそれが何を意味するかは十分明らかになっていない。そこで、この理念を巡る論争、特に持続可能性についての強/弱の解釈をめぐる論争をとりあげた。 弱い持続可能性は、自然資本と人工資本の代替を認め、その総量が維持されていれば持続可能性と見なす。この解釈は、現在の市場経済とも親和性が高い。この解釈は、ロバート・ソローの「もしも自然資源が他の要因によって代替することがきわめて容易であるなら、原理的にどんな"問題"も存在しない。世界は、実際に、自然資源無しでやっていけるので、枯渇は単なる出来事であって、大惨事ではない」という主張と結びつけられている。他方強い持続可能性の解釈は自然資本と人工資本の代替を認めず、それらを補完的関係にあると考える。そして自然資本と人工資本をそれぞれ維持すべきだと考えている。強い持続可能性の解釈の代表者としてあげられるのがハーマン・デイリーであるが、彼は、市場経済というシステムは、生態系の下位システムであると考え、人工資本が過剰で、自然資本が減少しつつある現在においては、自然資本が生産における制約要因になると考えている。 この二つの解釈はたしかに、対立する解釈のように思われるが、ともにある種の代替可能性を認めているという点では、対立は見かけ上のものにすぎないということを明らかにした。つまり、弱い持続可能性においては自然資本と人工資本は経済的代替可能性ともいえる代替可能性を認めており、強い持続可能性では、技術的代替可能性のみを認めていると考えられるということを明らかにした。
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