過去2年間の研究においては、主に持続可能性に関する思想史的な背景と、経済学における弱い持続可能性と強い持続可能性に関する論争を検討してきた。そして経済学における2つの持続可能性概念の対立は、ある意味では見かけ上のものであり、両方の立場も共に自然を資本とみなすことでは同一の平面に立っているということ、そして相違としては、技術的代替可能性を認めるのか、経済的代替可能性を認めるかという点であるということを明らかにした。 本年度は以上の考察を踏まえて、自然を資本化する経済そのものに対する批判的なまなざしを向けて、資本化するのではないような経済の可能性を探った。そのさい参照したのが、カール・メンガーとマイケル・ポランニーという二人の経済学者である。メンガーは、経済学における限界革命に大きく関与した経済学者であるが、後に技術的一経済的方向と節約化の方向という経済の二つの方向に言及し、徐々に自らがその設立に大きく影響を与えた新古典派から距離を置くようになっている。この二つの方向を受けて、マイケル・ポランニーもまた形式的意味と実体一実在的意味という経済の二つの意味についての議論をおこなっている。彼によれば形式的意味とは「目的一手段関係の論理的性質」から生じるものであり、他方は「人間が生活のために自然および彼の仲間たちに明白に依存するということに由来する」ような経済の意味である。後者の意味での経済であれば、経済は必ずしも手段の選択や財の稀少性によって成立するのではなく、むしろまさにわれわれ自身の生活の必要にかられた自然との関わりを経済と考えることが可能になる。この点から、経済と持続可能性概念を定義し直す道を見出すことができるのではないかと思われるが、メンガーもポランニーもこの経済の二つのみを十分に論じることができずにその生涯を閉じてしまった。しかし、こうした観点を考察するための視点としてアフォーダンス理論を援用することが可能であることを見出すことができた。
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