研究概要 |
本年度は,昨年度に続き,以下の2点に重点をおいて研究を進めた. 1)古代,中世から,近世初頭にまでわたる「自然」観を具体例として,各時代のそれぞれの哲学者たちの思索とその対話のあり方を,ホワイトヘッドの『過程と実在』および『観念の冒険』の立場から,振り返って,検討した.ホワイトヘッドにおいては,彼独自の一種のレトリック,換言すれば,独自の用語法と概念装置に基づきながらではあるが,通常の哲学史的記述とは異なり,時代を超えて,各時代の哲学者の思索との問答・対話(ディアレクティケー)がなされていることが確認できた.ただし,その問答・対話の相手は,古代と近現代に偏るきらいがあることは指摘しておかなくてはならない. 2)一方,古代・中世におけるディアレクティケー(問答法)とレートリケー(弁論術・修辞学)の関係を明らかにするための作業として,昨年度のRhetorique chez Aristote(アリストテレスにおけるレートリケー)に続いて,その論述の最も基礎となる,praedicatio(述語付け)の問題を,同じく,アリストテレスの『カテゴリアイ(範疇論)』を中心に,その他の論理学書(『分析論』『トピカ』)や『形而上学』も視野にいれつつ考察した.アリストテレスにおいては,一方において,問答・対話(ディアレクティケー)を重視する態度をもちながらも,他方においては,形相と質料,基体と属性,あるいは「もの」と「ことば」という捉え方によって,事態を把握し記述することが理由となって,これと異なる捉え方をする哲学者の思索とは相容れないことになる。従来は,この後者が強調されて,前者は,顧みられることは少なかったが,述語付けの捉え方を検討することによって,アリストテレスにおいても,ある程度,デノアレクテノケー(問答法)、の評価を変えることができる.
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