本研究は大慧宗杲の禅を中国思想史のなかに位置づけようとするものである。本年度は初年度であるために、国内外に散在する大慧に関する資料収集に努めた。わけても北京の国家図書館収蔵の『大慧普覚禅師年譜』(以下『年譜』)『大慧普覚禅師普説一巻』(以下『普説一巻』)を最重要視して調査した。両書はもと鉄琴銅剣楼の所蔵にかかるが、現在のところ原本の閲覧ができないこともあって、詳細な書誌情報は知られていない。前者は宋の宝祐元年重刊本であるが、清代鈔本のマイクロフィルムのみ閲覧可能で、それによると、本文は、日本の五山版(立正大学大崎図書館所蔵)と、2・3の誤字を除くほかは全同である。ただし本文末尾に刊記4行があり、書末には程公許『大慧禅師語録』跋・呂祖謙の書啓・劉震孫の書後の3篇が付加されている。五山版では呂祖謙書啓を冒頭に置いているが、刊記と他の2篇が無い。このうち、刊記のみは、わが内閣文庫の古写本『年譜』に、程公許跋・呂祖謙書啓・劉震孫書後の3篇は、内閣文庫の江戸初期写本『大恵禅師語録』に、それぞれ付加されている。これらの刊記と跋文等3篇によって、現存最古の『年譜』刊行の事情、および南宋における大慧禅と儒者との交渉について、より具体的に知り得た。とりわけ、これまで呂祖謙の書啓とは殆ど気づかれていない1篇は、もし実物であるとすれば、思想史的には極めて注目すべき資料となる。後者の『普説一巻』についても宋刻本のマイクロフィルムに拠るにすぎないが、わが京都大学松本文庫所蔵の五山版と行款・丁数は全同である。ただし、残念ながら本書冒頭の4葉が破損し、一部錯雑があり、巻末に記されるはずの朱記6字は確認できない。また、五山版末尾に記されている刊記は無い。以上のような書誌情報を考慮しつつ、『大慧普覚禅師年譜』『大慧普覚禅師普説』の訳注に着手した。
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