自然的宗教史から見たドイツ観念論思想における悪と救いの構造を解明するために、『宗教研究』361号掲載の論文「宗教と倫理-ドイツ観念論思想を手掛かりとして-」において、カント、フィヒテ、シェリングが宗教と道徳との関係、特に宗教的善悪と道徳的善悪との関係を如何に考えているか、またそれら善悪の基準は何かを検討し、それぞれが道徳的善悪を宗教的善悪に優先、道徳的善悪と宗教的善悪とを同一視、宗教的善悪を道徳的善悪に優先する型に属することを示した。その上で、三者がともに認めている現実的人間における悪はいつ克服されるかを検討し、現世には属さないいずれかの日、現世、死者たちの復活の日としていることを明らかにした。しかもその悪の克服は彼らが提示する道徳的宗教、真の宗教、哲学的宗教といった自然的宗教を支えにしてなされることを解明した。 悪と救いの関係を神との関係において検討するために、『シェリング年報』17号掲載の論文「後期シェリングにおける神」において、シェリシグが彼の後期哲学、特に『哲学的経験論の叙述』、『啓示の哲学』や「積極的哲学の諸原理の別の演繹」で神を如何に考えているかを解明した。その神は汎神論的な神でも、またヘーゲルが言うような、自らを自然(世界)に外化する神でもなく、あくまでも世界の外にその原因としてとどまり、自ら意欲して世界を創造する神であることを示し、ヘーゲルとシェリングの神に関する考え方の違いを明らかにした。 ドイツへ事蹟研究に出かけ、その際、ベルリン・フンボルト大学のハーン教授と面会し、教授からシェリングがカトリック教会へお参りに行っていたことを聞き、シェリング哲学理解に大きな示唆を得た。
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