平成22年度はイスラムにおける「聖職者」(ウラマー)と「俗人」(一般信徒)の境界線がますます曖昧になりつつあることを示す典型的な例として、いわゆる「俗人」説教師の活動が大きな支持を得ていることに着目し、ウラマーの動きと対比させるなかでの分析を進めた。 元来ウラマーとはイスラム世界における「知識人」と捉えるのが適切な概念であったが、近代に入って中央集権的な強大な国家が成立し、国家が一元的に宗教を管理する体制が確立するなかで、狭義の宗教の専門家、つまり「聖職者」へと次第に変貌していった。しかしこれはイスラムという宗教が特徴とする包括性とは矛盾する流れであり、この矛盾を解消する動きとして顕著になってきたのが「俗人」による活発な宗教運動であるということが明らかになった。 生活の細部にまでイスラムを(再び)注ぎ込もうとするこの動きは、たとえばビジネスの世界に通じている人間、あるいはアメリカ文化に通暁している人間が「説教師」として活躍している事例が典型的に示している。要するに、イスラム教徒の生活のなかには「聖職者」化したウラマーでは対応できない部分が生まれているが、そうした部分にもイスラムを浸透させようとする思いが一般信徒の間に高まっているということである。 またこの作業の中で注目すべき点として浮かび上がってきたのは、ウラマーであれ、一般信徒であれ、たがいに棲み分けをしながら、しかし互いに力を貸す形でグローバル化時代の要請に応えうるような新たな「イスラム性」を追求しようとする動きが生まれているという点である。グローバル化より選択肢が飛躍的に拡大した市場のなかで、「イスラム的」、性格を帯びた商品を求めるというような、消費行動におけるイスラム志向の高まりはその典型と言え、今後はこうした点に焦点を当てていく必要があるということも明らかになった。
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