平成20年度は、まず大バシレイオスの救貧の思想と実践について研究を遂行した。彼の「飢饉と旱魃の時期に」ならびに「『私はわが倉を壊した』について」の読解を行った。またナジアンゾスのグレゴリオスの『バシレイオス頌』63章などを基に救貧施設「バシレイアス」の研究も行った。二つの救貧説教については論文を執筆中であり、その成果は21年度に持ち越すことになる。救貧施設「バシレイアス」については、日本宗教学会の学術大会でも発表したように(古代キリスト教と人間愛(フィランスロピア)--四世紀カッパドキア教父の救貧思想への序)、一定の成果を得られた。そこで世話を受けていた病者が当時「レプラ」と呼ばれていた病者であったこと、その救貧思想の根本にはフィランスロピア論(=フィロプトキア論)とキリスト論(人間として貧者に出会う根拠場所として)とがある。その成果の一部は、論文「フィランスロピアとキリスト教批判の諸相」においても発表した。なおカイセリへの調査旅行については、その必要について十分な確認が取れないままであったこと、また図書費を多く使用する必要から見送った。 またテミスティオスとユリアヌス帝のフィランスロピア論については、その背景としてカイサアリアのエウセビオスのフィランスロピア論を理解しておく必要から、まずはエウセビオスの『教会史』におけるフィランスロピアの用法について研究し、論文にまとめた(「エスセビオス『教会史』におけるフィランスロピアの用法」)。神と統治者のフィランスロピアについて、ならびに死者に対するフィランスロピアなどについて知見を得た。 論文「ニュッサのグレゴリオスにおける救貧と否定神学」では、救貧の実践における思想の可能性を問題とした。グレゴリオスはレプラと思われる病気の貧者についてその病名を一切語らない。この「語らない」という否定の意味を考察し、救貧の実践と否定神学の関連性の可能性を追求した。
|