本年度の前半は、『百科全書』における誤謬の歴史を分析する予備作業として、ディドロら百科全書派の真偽論の前提となる合理主義的な知識論・学芸論そのものを道徳的頽廃の根源として否定したルソーの『学問芸術論』と、ダランベールによる『百科全書』序論とを対比することで、理性と人間知識の進歩への信頼に基づいた啓蒙主義的な文明論の論理的射程とその歴史的限界を明らかにするとともに、ルソーによる反啓蒙の言説の特質を分析し、その成果を岩波書店の雑誌『思想』ルソー特集号に発表した。本年度の後半は、『百科全書』の科学項目における誤謬批判の諸類型を洗い出す具体的な作業に取り組み、アメリカ・シカゴ大学のインターネット版『百科全書』サイトも併用して全巻・全項目を対象に「誤謬」(《erreurs》)をキーワードにした網羅的調査を行い、フランスでの資料調査も踏まえてデータベース構築作業を進めた。この精査の過程で浮上した項目をさらに詳しく分析した結果、『百科全書』の科学項目で記述される誤謬には、1) 化学における「発酵」の概念のように、ある分野から他の分野への用語の拡大適用による語彙のメタファー的使用に基づく誤謬、2) 炎症の原因をめぐる生気論者と機械論者の論争に見られるように競合関係にある対立仮説に対するレソテル貼りとしての誤謬、3) 錬金術や賢者の石の概念に見られるように俗信・迷信としての誤謬、4) 医学を支配した占星術理論や天文学を支配した天動説のように、長いこと真理とされた後に誤謬であることが明らかになった「支配的誤謬」、5) 種痘の概念のように当初から偏見にさらされながら学問や技術の進歩によって真理と見なされるようになった過渡的な誤謬など、複数のパターンが見られることが判明した。本研究の成果は科学史に関する共著(金森修編)として既に入稿済みで、来年度内に勁草書房から刊行の予定である。
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