本年度は、戦前における中国、韓国におけるニーチェ受容の歴史が、日本の進出への批判と明確に結びついていることをさまざまな手段で確認した。1919年の5・4運動の学生たちにニーチェの『ツァラトゥストラ』がゲーテの『ウェルテル』と同じにさまざまな形で読まれていたことは、よく知られているが、それについてのさまざまな研究を検討した。また、明治後半から大正にかけて東京在住の朝鮮人学生が刊行していた『學の光り』という雑誌(ハングルと漢字まじり文)には、文学者や思想家として後に対日抵抗運動で有名になった人々によるニーチェを含む西洋思想の読まれ方がよく見て取れる。自らの青雲の志と、祖国の独立への思いとがニーチェを介して表現されている。一部は翻訳が必要であったが(翻訳料を本研究費から支出した)、この雑誌を介して、日本経由のニーチェ受容と、独特の植民地的近代(colonial modernity)のありようが浮かび上がって来た。 また、日本の、特に京都学派におけるニーチェ受容に関しても進展するところがあった。第一は戦前の和辻哲郎におけるニーチェの読み方が、戦時中の『倫理学』における皇国史観的な態度から戦後の象徴天皇論への穏やかな移行を準備するものであったことを解明し、この点は、社会思想学会で発表することができた。第二は、西谷啓治の戦後のニヒリズム論が、ヨーロッパ近代を志向した戦後日本の位置付けと密接に結びついていること、またこの議論が、1980年代以降のナショナリズム支持者たちに継承されて行くことも明らかにした。また、ベンヤミンとニーチェの内在的関係も解明し、自著の中で論じることができた。
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