19世紀のドイツの思想家ニーチェはヨーロパの中でも、また東アジアでも多様な読まれ方をされてきた。ドイツでは、生の哲学と結びついた生活改革運動のなかで広く読まれ、第一次世界大戦後はナチスの政治運動にも利用された。しかし、イタリアやフランスではダヌンツィオやジイドに代表されるように、芸術のための芸術という芸術革新運動と結びついた。アメリカ出身のイサドラ・ダンカンは新しい舞踏にニーチェの思想を組み込んだ。日本では初期の高山樗牛でも芸術と生活の一致という耽美主義の枠組みで読まれたが、やがて和辻や西谷のような教養主義的な求道者精神の中で読まれ、政治的には保守的な動きを支えることになった。またドイツ哲学では、ハイデガーのニヒリズム論の基盤となった。さらに中国では、5・4運動にゲーテと並んで大きな影響を与え、朝鮮半島でも、在日の朝鮮人留学生を中心に明治の後半から広く読まれ、自主独立の意識に大きな栄養を与えている。こうした多様な読まれ方を、それぞれの地域や国における多様な近代化(multiple modernities)の理論を媒介に検討し、そこにおける耽美主義とナショナリズムの癒着の種々のありようを検討することが課題である。
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