戦後日本版画の世界進出と国際交流の実態を、展覧会・コレクター・作家交流の視点から明らかにするため、本年度も引き続き、占領期から1970年代までを視野に入れ、国内・海外で行われた版画展目録と関連資料、コレクターや作家に関する資料、英語版技法書・紹介書・新聞記事などの収集を進めた。その中でも特記すべきは、占領期に来日し版画の収集を行ったロベルト・ベルジェス氏にインタビューを行い、関野準一郎の渡米日記を読む機会を得たことである。こうした聞き取り調査や資料調査から浮かび上がってきたのは、シアトルが戦後、版画家の国際交流を考える上で重要な都市であったこと、また同地出身の美術家でギャラリーを経営していたフランシス・ブレイクモアが日本版画の海外普及に重要な役割を果たしていたことである。2010年8月に行った海外調査(シアトル)では、その実態を明らかにすることができた。シアトルでは、シアトル・アジア美術館、ワシントン大学美術館・図書館、ブレイクモア財団などに協力を得て作品・資料の調査を行う一方、コレクターでありブレイクモア財団会長でもあるグリフィス・ウェイ氏、故ポール堀内夫人、1950年代から60年代にかけてワシントン大学で日本の版画家から木版技法を習った方々など関係者への聞き取り調査を行った。その結果、戦後アメリカ国務省の招聘などでシアトルに渡った版画家斎藤清と関野準一郎の二人がいずれも、シアトル在住の日系美術家たちの援助を得ながらワシントン大学で木版画の技法を教え、現地で個展を開催、さらには同大学グレン・アルプス教授からコラグラフの技法を学び、シアトルの作家たちの展覧会を日本で開催する世話役まで果たしていたことが判明した。このように、日本の版画家達が戦後、海外に渡ることによって、日本の版画作品は世界で広く知られると同時に、日米の美術交流も推進されることとなったのである。
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