本課題では江戸の写生画と明治近代日本画との関係について、大きく二つの課題(秋田蘭画派と円山四条派)に取り組んでいるが、平成20年度では、秋田蘭画派における「写生」的要素の再検証を中心に、作品調査と資料分析とを行った。その際重要な資料として、秋田蘭画発見の立役者とされる明治の日本画家・平福百穂著『日本洋画曙光』を扱った。しかし従来の秋田蘭画研究では、ほとんどこの書については注目してきていない。改めて平福の秋田蘭画研究をひもとくと、実は彼は秋田蘭画派を、先駆的な「新しい日本画派」であった認識していた節が見られる。平福百穂自身は円山四条派から出発し、そして一時洋画を志すという画歴の中で、最終的には既存の日本画には飽きたらない「新しい日本画」の創造に生きた画家である。その平福によって秋田蘭画派が「見出された」という意味を、近世美術史とは切れることのない近代絵画史の問題として考えた。そこで今回研究代表者は、『日本洋画曙光』に記載された事実内容を改めて検証し、さらにそこから発展し、秋田蘭画派の傑作・小田野直武筆「不忍池図」(重要文化財)を新たに論じる試みを行った。昭和30年代に世上に現れた「不忍池図」を、昭和8年に没した平福が知ることはなかったが、秋田蘭画派における先進性を直感的に見抜いた平福の見識は、「不忍池図」を<名作>と評価する現代の美術史・美術批評観の根幹を成していたと言える。そうした点を踏まえて、研究代表者は同作品の分析を行い、結果として「不忍池図」が単に<山水花鳥画>という絵画ジャンルであったにとどまらず、実は中国美人画の文学的言説に基づく一種の<見立美人画>であり、また同時代の江戸風俗や中国春画の言説、さらには鑑賞における遊びの要素をも駆使した、非常に複雑な意味体系を成す絵画であることを立証するに至った。この研究成果を近く、単著『秋田蘭画の近代--小田野直武筆「不忍池図」を読む』(東京大学出版会、2009年4月、pp400)として上梓・刊行の予定である。
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