研究課題
平成21年度は、リゲティの生地(ルーマニアのトゥルナヴェニ)、および少年期(クルージ・ナポカ)、および作曲家として歩み出した頃の第二次大戦後のブダペスト(ハンガリー)での時期について、調査を行うことを計画していた。これは、研究協力者の都合などにより、平成22年8月に繰り越して実施し、これまで伝記などでは知られていなかった事実を明るみに出すことができた。とりわけ、彼の生家に隣接するユダヤ教のシナゴーグ(現在は文化会館として機能している)での調査によって、彼の家庭をとりまくユダヤ人コミュニティーの一端が明らかになった。このことは、父親が無神論者であったとはいえ、彼の家庭がユダヤ教と多少なりとも関係を持っていたことを示しており、彼自身がインタビューなどで宗教的背景を否定的に語っていただけに、今後の研究の視点として重要であると考えられる。そのほか第二次大戦後の音楽状況の中でのリゲティの位置づけについて、今年度はリゲティ自身によるブーレーズ作品の分析(「《ストリュクチュールIa》における決断と自動性」)を精読し、リゲティがトータルセリエリスムについて、どのような批判を行なったかについて詳細に検討した。リゲティ自身のヨーロッパ音楽理解については、彼がリスト音楽院(ブダペスト)で教師として働いていた時代の和声法に関する著作に基づいて、彼の技法的基礎について検討した。また、オペラ《ル・グラン・マカーブル》については、Peter von Seherr-Thossの優れた博士論文Gyorgy Ligetis Oper"Le Grand Macabre"(1998)を参照しながら分析を進めた。さらに、Richard Steinitzによる伝記、Gyoergy Ligeti:Music of the Imaginationを基礎として、彼の代表作を年代順に検討した。
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大阪大学大学院文学研究科紀要
巻: 第50巻 ページ: 69-89
阪大音楽学報
巻: 第8巻 ページ: 207-218
International Symposium -reed Instruments en Eurasia : History, Context, and Representation
ページ: 29-37