平成20~21年度に入手していなかった『音楽新潮』(1924年~1929年分)、『音楽評論』(1941年分)、『音楽文化』(1943年~1946年分)、『フィルハーモニー』(1948年~1965年分)から本研究に関わる論稿、記事を入手し、そこに見られる日本の楽壇の関心事・評価基準と、日本の作曲家がモデルにしようとする対象および実際の作風との関係を考察した。 『音楽新潮』では既に1920年代に、シェーンベルク、ストラヴィンスキー、リムスキー-コルサコフをはじめとするロシアの作曲家のほか、エゴン・ヴェレシュ、ファリャ、カセルラ、マリピエロなどの、必ずしも当時評価の定まっていない非西欧の同時代の作曲家が紹介されているのに対し、1930年代に顕著になる日本人作曲家による作曲活動には、それらの情報が必ずしも反映されていない。日本以外の非ヨーロッパの作曲家たちが、西欧の作曲家たちよりも、自分たちと近い立場にある非西欧の作曲家たちをモデルにしようとする傾向にあるのとは異なる意識がそこには認められる。1930年代から1940年代にかけての日本のオーケストラ作品に認められる二つの潮流-西欧の古典派・ロマン派の音楽をモデルにしようとするアカデミズム派と、西欧の伝統にそむこうとする在野派-のうち、在野派は、西欧の古典派・ロマン派に代わる依拠すべきモデルを持たず、創作する中でモデルを創出していったと考えられる。日本の作曲家としての特性を評価されている作曲家は、オリジナリティを保証するモデルに依拠することなく、西欧に還元し得ないモデルを創出していることは戦後の作曲家たちにも当てはまると考えられる。
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