本研究は、江戸初期に出版された江戸版とその関連版本の悉皆調査をもとに江戸初期出版界の様相を解明し、その成果を文学研究や権利意識の問題の考察に還元しようとするこれまでに無い発想の試みである。本研究途上、昨年度新たに発見した伊勢商人と初期江戸出版界の関係は、出版史の研究上、出版の社会的位置付けや、ジャンルの醸成等に関わる文学の発展の本質的な問題として重大な発見であった。この発見と、初期出版界の伊勢との関係の可能性を、出版を商業行為としてとらえた場合の伊勢商人との繋がりの問題を、また出版を文芸活動としてとらえた場合の俳譜や古浄瑠璃等の伊勢の文芸との関わりを「日本近世文学会大会」(於実践女子大学、2010年5月15日)で発表した。この事実をさらに詳細に究明するために、江戸初期の伊勢版と、古浄瑠璃と仮名草子の江戸版・京版の調査を行った。それらのテキストの関係性、あるいは版本の書誌学的特徴を比較・検討した結果、江戸で書肆松会と並んで江戸資本の書肆として早期に出版を開始する鱗形屋は、従来通説であった江戸版を出すグループの書肆であるという位置付けではなく、浄瑠璃や評判記等、独自の江戸のテキストの開発に務めた書肆として位置付けることが、今後の研究上、重要な視点であるとの結論に達した。この研究成果を論文『鱗形屋』(『言語文化』第47巻、一橋大学語学研究室発行)にまとめた。また江戸の絵師、菱川師宣の挿絵が京版でも利用されている問題については諸本調査の結果、これまで古浄瑠璃・仮名草子・評判記といったジャンル毎に個別に行われてきた挿絵の研究は、ジャンルあるいは京都・江戸といった地域性の枠を越えて再整理した上での状況把握が必要なことを2009年度分までの調査をふまえて結論付け、「絵本ワークショップ」(於大和文華館、2010年12月4日)で口頭発表した。2010年度の成果は初期出版界の様相を再検討する具体的な指針として、これまでの概念を覆す成果として近世文学会あるいは美術研究の分野で高く評価された。
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