今年度の成果として特筆すべきは「文化前期の地本問屋と文化元年の彩色摺禁令」(研究成果参照)であった。その内容は文化元年五月におきた『絵本太閤記』の絶板直後におきた江戸における多色摺絵本の絶板の原因を『絵本太閤記』五編の口絵と地図に多色摺が使用されていたことに求めた。この問題は従来、『割印帳』に『福鼠尻尾太棹』『敵討播州舞子浜』の二例の絶板記事が記されるのみで、あまり重要視されてこなかった。これは絶板となった二書が上方での流通を図るために書物問屋の割印を受けたことによりたまたま記録に残ったものであり、文化元年には多くの色摺絵本が絶板となったことが、本研究によって類推されることになった。多色摺絵本は文化末から享和期にかけて多くの地本問屋によって刊行されていたが、それが一挙に禁止されたのである。マーケットが存在するのに商品の供給が絶たれたため、多色摺絵本の代替物として草双紙の絵本化、すなわち合巻化が進展し、多くの地本問屋が草双紙に参入することとなった。そのため多くの新興の合巻板元は作者と画工の確保に苦労することとなり、新しい作者、画工の誕生を見ることになった。 「『傾城水滸伝』の衝撃」「『国字水滸伝』と七編下冊草稿について」は平成二十年度の研究成果「文政末・天保期の合巻流通と価格」を補うものである。これにより天保期の合巻板元の動向をより明白にすることができた。 「大岡越前守忠相と吉原―集娼政策への転換―」は一般誌に掲載されたものであるが、幕府の集娼政策の前提となった岡場所の女性に対する奴という処分の前提となった西田屋九重の事例を調査することによって、罪を犯した人物を公然と刊行することが不可能であったことを示した。
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