このテーマの根底には、進化論があるという予測を持って研究を開始した。近代の進化論は、生物の「変化」を説明する説明原理だったダーウィンの進化論がスペンサーによって社会に拡大適用されて、社会進化論という思想となったのが第一段階だろう。日本では明治の初期から中期である。当時の「学術雑誌」は進化論関係の論文が席巻した。「改良主義」の波に乗って、漢詩に対するはじめての文語定型詩集『新体詩抄』(丸善、1882・8)を刊行した井上哲次郎らは東京帝国大学の哲学の教授で、「スペンサーの番人」とまで椰揄された社会進化論の信奉者だった。 次に、その思想「科学」であって「正しい」のだから、進化することは何でも「善」とみなして布教に努力したのが第二段階だろう。明治中期以降から大正期までだろうか。この段階では、進化論や社会進化論は「啓蒙的知識人」から「大衆」へ、文字通り啓蒙されていった。たとえば、三輪田元道『家庭の研究』(服部書店、一九〇八・九)といった、女性の生き方を示す近代女訓もののたぐいでさえ、その「序」はいきなり「優勝劣敗、生存競争、及び適者独栄とは、社会の状態を説明するものなり」と始まっている。こうした近代女訓もののたぐいには「現代は生存競争の時代ですから~しなければなりません」のような語り口がごくふつうに使われていた。当時の進化論では女性は二流の人間だった。しかし、その存在を無視するわけにはいかなかった。そこで「主人は総理と外務を兼ね、主婦は内務と大蔵を兼ねたやうなもの」(福田滋次郎『北隆社、1903・7)のように、国家経営の比喩を用いて、家庭の中にだけ位置を用意したのである。 これが、今も続く「大衆的言説のジェンダー構成」のわかりやすい例だと言っていい。 これらを小説の分析を通して論じた研究成果は、2011年9月に筑摩選書から刊行する予定である。
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