従来、修験道史研究において、室町期は、江戸期の本山・当山両派確立の前史として、全国の修験寺院の組織化が着実に進められた時期と捉えられることが多かった。その位置づけは誤りではないが、他方、摂家の聖護院門跡=熊野三山検校を頂点とする体制そのものが新儀であり、室町幕府の宗教政策の一環として修験道再興が強力に推進された面も忘れてはならない。事実、南北朝期から室町期にかけて、京でも熊野三山でも参詣と修行の儀礼が再興され、その根拠となる縁起・記録類が盛んに類聚、再編されており、このことを資料に基づいて分析し、位置づける必要がある。 上述の課題について研究を進めた成果を公開すべく、研究集会「室町期における修験道の儀礼再興と文化興隆」(12月19日〜21日、於名古屋大学、名古屋大学比較人文学先端研究と共催)を開催した。研究集会は、資料展観、報告、研究発表、シンポジウムからなり、中核となるシンポジウムは上記と同じ題目で、【司会】川崎(研究代表者)、【報告】源(研究分担者)、大河内(研究協力者)、天野文雄氏(大阪大学大学院)、高岸輝氏(東京工業大学)がつとめた。歴史叙述、造像活動、田楽の場、絵巻物制作を対象とする報告の後、議論を進めた。その議論のなかで、室町期の公武、あるいは戦国大名らの修験道に対する熱烈な信仰が、最上級、最先端の都市文化による霊山の荘厳という現象を起こすと同時に、霊山の縁起や物語に依拠した都市文化の創造という現象をも起こしていたことが確認できたのは、大きな成果であった。
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