本研究は、コックニー詩派の詩人たちが、アルプスを挟んだ南北ヨーロッパのうち地理的「南」を舞台としてイギリスにおける文化的、政治的改革を主張した詩を謳ったことの意義を考察する。本年度はまず、当時ピサ・サークルと呼ばれたL.ハント、P.B.シェリー、G.バイロンらのグループがイタリアにおいて刊行した『自由主義者』という批評雑誌や、彼らの書簡、本国イギリスにおける『自由主義者』に対する反応等を載せた批評雑誌といった第一次資料を収集した。それらの資料において、ハントらが当時のイギリスの政治的腐敗に対し、コスモポリタンとしての視点から批判の声を上げたという地理的政治的構図を捉えることができた。次に当時のイタリアの政治的状況を論じた文献やウィリアム・ロスコーによるイタリアについての歴史的著述等を収集し、当時「南」が「北」に対して自らをどのように位置づけていたかについて概観した。さらにこうした観点に言及する批評書を中心とした第二次資料の収集も行い、最新の批評動向についての確認も行った。最終的にこうした資料から、「南」の地において政治的文化的改革を主張したコックニー詩派にはロマン主義的コスモポリタニズムの精神が宿っていたことを結論として得た。コスモポリタン的精神は、政治を語る資格を保証する階級と経済力を有した「市民」から発現するものではなく、自らの意志を礎にエグザイルとしての自由主義的視点を有する「個人」に見出されるものである。すなわちそのコスモポリタニズムには、「市民」の国としての帝国を、「市民」のいない国としての「南」の地から眺めるという外在性によって、帝国主義や王政による正統性の主張が内包する閉塞性や不平等性、あるいは国民国家を形成する愛国主義的「市民」に潜む欺瞞に対して批判を行うという地政学的視点が存在していたという結論を得た。
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